北アルプス;槍・穂高縦走


槍・穂高縦走 part6
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上高地―槍―穂高縦走(6)




写真:「長谷川ピーク」(左右が絶壁なのでどうしてもピークを越えなければならない)
写真:「飛騨なき・・?」付近のナイフリッジ(靴幅一つの剣先路、左は涸沢、右は滝谷の大絶壁)


上高地―槍―穂高縦走(6)

底と剣先・・!!、

このピークを下り、次のピーク、立派すぎる岩稜の山を攀じ登って行く。
しかも両側が切れている今迄より最大の緊張を強いられるところである。
両手は鎖などでで確保できるが足元が危うい、登山靴の半分くらいしか引っかかりない所もある。大キレットはこのピークあたりが核心部ともいわれている。

ピークに達した、とはいってもバイザイが出きる様なところではない、岩盤1枚で立ち上がると奈落へ吸い込まれそうなところである。
正面は堂々とした「北穂」の聳え、右手正面には「岩の墓場」、「鳥も通わぬ谷」と恐れられている「滝谷」が不気味に断崖絶壁を覗かせている。
先ほどのヘルメット二人はこの谷を攀じってきたのであろうか・・?。 落差にして1,000mも一気に切れ落ちている滝谷絶壁なのである。

そして、一つの岩峰を越えなければならない・・、 
○印が、否応無くピークへ誘っているのである。 
左右を確かめると、どちらも絶壁になっていて、どうしてもこの穂先を越えなければならない。 
周囲を気にすると思わず引き込まれそうになるため、絶対に見ないようにして、ただ黙々とひたすらホールドとスタンスを見極めて攀じるだけである。 
登る時は、それ程でもなかったが、滝谷側へ下降の時はどうしても谷底が見えてしまう。その時は、さすがに血の気が引くというのか、ザワザワとした身震いと緊張感が一瞬、全身を駆け巡る。

この岩峰、後で知ったが「長谷川ピーク」と言うらしい・・、

小生が当時通過した頃はこの様な名称は無かったように思う、後年付けられたのであろうか・・?。 いずれにしても長谷川ピークという個人ネームは「長谷川恒夫」のことであろう。

日本を代表する世界的なアルピニストで、奇しくも小生の住んでる(神奈川県厚木市)隣町の愛甲郡愛川町半原の出身である。
彼は、世界各地の登攀を達成し、特にヨーロッパの三大北壁、エベレストに情熱を傾けた。最後に、パキスタン・ウルタルU峰を登山中、雪崩により遭難死している。
享年43歳。彼の「長谷川ピーク」の名が付いたのは、何時ごろか・・?、どの様な理由によるものかは、定かでない。


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「オリさん、調子よさそうですね・・」、
「そうでもないよ・・」

と謙遜の返事を返したが、われながら調子は悪くないのである、
緊張のせいかな・・?。でも、案外こういった両手を使った岩の登り降り、ハシゴヤクサリを使ったスリルある歩程は得意なのかもしれない。思えば学生の頃、障害物競走は得意であったが・・?関係無いかな。 

飛騨側の岩壁をへばり付きながら(ヘツリともいう)下り、更に、両側が切れ落ちた、キリン・・?の背の様なところを渡る。ここは鎖が設置されているが、それでも安心して通れる様な処ではない、足を滑らせないように注意しながら通らねばならない。
この辺はもう余裕などといったものは一切なく、無心の極みであり、一歩間違えばあの世行きダー−。

下りきったところが、Aコルと名が付いている。
「飛騨泣き」と呼ばれる所であり、右側は岩肌が両側から迫り出し、その数米の隙間がザレ場となって真逆さまに落ち込んでている。吸い込まれそうな谷底から盛んに滝谷の冷風が吹き上げてくる。

強風の場合は、風が岩肌を擦り、まるで風が悲鳴を上げているようなので、「飛騨泣き」と称したのであろうか・・、と小生の想像である。案外、当たっているかもしれない・。
「飛騨泣き」は凄いとは認識はしていたが、名前からして相当にきつそうで、こちらも立っているのがやっとぐらいのスペースある・・、本当に泣きたくなるような峻険な地である。

先方を眺めると壁のような大岩峰が行く手を塞いでいるようだ・・、実際、飛騨泣きというのはAコルからあの岩峰辺りまでを指しているのかもしれない。

⇒や○印を頼りに急激な岩登りが始まる・・、

時おり×印もあり、これより先は奈落ですよ・・と言わんばかりである。 この印をとにかく忠実に辿る意外に、絶対に別のルーとは無いのである。 そして、岩登りは常に3点確保と言われる。 両足に片手、片足に両手のことである。
時に、鎖場を行く、鎖といっても蟹の様に横へ這って行くのであり、通称「蟹の横ばい」ともいう。 脚下は1000mの奈落の底へ達している。

暫く、岩場の格闘をしているうち「北ホあと200m」というペンキ文字が記してあった。
無論、ただ歩くだけの距離ではない、相変わらずの岩登りでの200mなのである、短いような長いような距離であろう。

それにしても飛騨泣きと言われる難所は予想以上に難なくクリアしたようである。
長谷川ピーク以降、恐怖心が麻痺してしまったのか、或いは高度順化、難所順化したのか・・?

高度が上がるうち左手に北穂の東稜が凄味を増してきた。
天辺に小屋らしいものが見えている、それにしても山頂に見える北穂高小屋はすごい所に建っているもんである、呆れながらも、感心しきり・・!!。

最後の急坂が続く・・、鎖やハシゴの助けを借りな気を緩めず登る。
登りつめると、「北穂高小屋」の裏手に、ヒョッコリ飛び出た。

次回へ続く・・、     槍・穂7

        


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